長い歴史の中で68人しかいない横綱。昭和63年間で31人、平成18年間で6人。2年に1人から、3年に1人と、誕生率は近年低下。 力量抜群の貴重な存在で日下開山とも呼ばれ、天下に1人しかいないようだが、初期から複数の横綱力士が並び立つのは珍しくなかった。 横綱(明治生まれ以降)の平均寿命は短命なのか?歴代横綱没年令一覧. 空きっ腹の朝稽古の後、食べて寝て、その後にまた稽古、体重を急激に増やすので、睡眠時無呼吸症候群にもなりやすい。 双羽黒は横綱になって3度優勝を争うもいずれも競り負け、結局不祥事で廃業。その後北勝海、大乃国が昇進するも千代の富士の王座は揺るがなかった。この3横綱とも連続優勝はなく、現在の昇進基準に照らすと、優勝8回の北勝海ですら横綱昇進の声がかからなかったのではという疑念がある。それほど連覇というのは難しいが、若い彼らにはもう少し大関として伸び伸び取らせた方が力を出し切れたのではという気もしてならない。千代の富士の一強という勢力図を番付が反映しなかったことがもたらした悲劇。そういう見方をした結果が、平成以後の昇進厳格化につなかったのではないかと思う。, 大鵬も短期間ながら一人横綱を経験している。若乃花と朝潮がいた時代に柏戸と同時昇進。後に栃ノ海、佐田の山が上がったが王座は譲らず、二人は先に引退。44年7月柏戸も退いて一人横綱となる。すでに30回の優勝を記録していた大鵬は、同年3月まで45連勝を記録しており、まだバリバリ。しかし、連勝の疲れが出たかやや不調。この場所も千秋楽相星決戦で新大関清国に優勝をさらわれた。北玉も停滞期で、琴櫻も故障がち。新大関優勝の清国や関脇長谷川に勢いがあった。番付上も大鵬の一人横綱となった秋、九州、45年初場所は、北玉が復調して優勝を争い同時に横綱昇進。大鵬は九州場所で故障し連続休場、鬼の居ぬ間に柏鵬時代から北玉時代へのバトンタッチが行われた。その後大鵬が踏ん張って北玉時代到来に待ったをかけ、3横綱の鼎立となるのだが、それは「3横綱時代」で。, 1横綱の4場所間、大横綱大鵬は11勝、11勝、途中休場、全休と優勝なし。宿命ライバル柏戸の存在の大きさが浮き彫りとなった。実質大鵬時代であっても、柏鵬時代の看板は伊達ではなかったと言える。その後復調しているからたまたまこの4場所が不調期だったという解釈もできるが、無敵の大横綱大鵬にしても一人横綱の重圧はなかなかの強敵だったと見える。遂に訪れた名実共に大鵬1強時代に、皮肉にも北玉時代の幕が開けることとなった。, 最後に最も不運な一人横綱。番付上は1場所もなく、実際に一人横綱だったのもわずか6日間だけだが、貴乃花休場の間は実質的に一人横綱を務めた。琴櫻と並ぶ長い大関在位の後、平成11年に横綱昇進した武蔵丸は、他の3横綱が不調の間第一人者として活躍。12年は1回の優勝にとどまったが、実力は一番上と見られていた。13年初場所で曙が引退。貴乃花との2横綱時代が到来と思われた矢先に、膝の故障で貴乃花が長期休場となる。ケガをおして決定戦に出た貴乃花に敗れた武蔵丸。ボロカスに叩かれたがリベンジしようにも相手が7場所全休で、ぶつけるところがない。, 13年7月、11月と優勝した武蔵丸。14年1月こそ手首の故障が悪化して初の休場、史上最長の連続勝ち越しが止まったものの、3月5月と連覇を果たす。一人横綱の7場所で優勝4回と上々の出来だった。, ようやく迎えた秋場所では貴乃花との相星決戦で破って優勝、待ちに待った雪辱を果たした。だが、念願成就して燃え尽きたか、それとも一人横綱の疲れが出たか、九州場所から手首の故障と首の悪化で休場続き。その間に貴乃花が引退でするが、入れ替わりに朝青龍が昇進し番付上は2横綱が維持された。だが武蔵丸も長期休場となり、名古屋、九州で出場するも勘は戻らず引退となった。一人横綱の重責は果たしたが、故障を抱えたまま誰にも黙って出場していた無理も祟って力士生命を縮めてしまった。大関時代にさんざん優勝をさらわれ、横綱になって地力は逆転しても、最後まで貴乃花に振り回された相撲人生だった。, さんざん語られている2横綱の時代については、詳細を紹介する必要はないだろう。完全に二強の時代でも、意外と他にも横綱がいたりして、勢力図を番付が表せていないことも多い。その意味では、輪湖、曙貴各時代の2横綱だけが在位した期間の長さは稀有。どちらも王者不在の時代を勝ち抜いて最高位に君臨。2横綱となった時点で先輩横綱だったことが共通している。そして2人で荒れた天下を平定し、他の追随を許さなかったことから長期の2横綱時代となった。, 二度コンビを組んだ柏鵬も長さの点では凄い。若くしての同時昇進から30歳過ぎまで横綱を務めたため、後続の年長2横綱が先に引退してしまった。3連続全勝の北玉も密度は満点。貴乃花・武蔵丸も休場がほとんどだったが、揃った場所では激しい迫り合いを展開した。このあたりは番付とリンクした2横綱時代。, 一方、印象と違うのは、2横綱並立はわずか1場所しかなかった栃若時代。横綱の多い時代だったこと、年齢差と栃錦の潔い引退という原因がある。, 惜しいのは、朝青龍・白鵬の2横綱時代。大関との差は歴然としており、実力と番付が一致、キャラクターも好対照で、これぞ2横綱時代という様相。劣勢だった朝青龍が22年初場所を制し、さあこれからというところ、土俵外の事件で終止符が打たれてしまった。輪湖、曙貴に迫る長期間を記録してもおかしくなかった。案の定、年間86勝の白鵬と2強を形成する力士はすぐには出て来ず、24年まで白鵬の1人横綱が続いた。, 記憶に新しい平成の2横綱時代。貴乃花の昇進後3年半も続いたが、若乃花との兄弟横綱誕生で幕。両者よく優勝を争うも、貴乃花が優勢で黄金時代を作る。曙は故障がちとなり、この間優勝わずか2度。大きな差がついた。, 逆転優勝を許した屈辱を抱きつつ北の湖が昇進、幕が開いた輪湖時代。ちょうど古参2横綱が引退した場所であり、当初から2横綱対立の番付となった。輪島に波があり、51、52年は高いレベルで拮抗するも、53年は若い北の湖が独走。この年、輪島に代わって対抗馬一番手となった二代目若乃花が横綱となるまで4年近く続いた。, 「栃若」という言葉ははやるも、両雄が最高位を占めた番付はわずか1場所。ただ、引退間近の千代の山、不安定だった朝潮との3横綱が長く、33年から35年まで2強の印象が強い。太く短い栃若時代を象徴する。, 若くして昇進した柏鵬は揃って長く在位。その間を、栃ノ海、佐田の山の2横綱が駆け抜けて行った。そのため4年あまりのブランクを経て2度めの2横綱結成。前期は大鵬が全盛で6連覇含む圧倒的な成績。柏戸はケガに泣く。後期は両者ともケガを抱えて、乱調もあったが、大鵬は45連勝を記録している。柏戸の引退で終結。, 武藏山の引退後、羽黒山昇進まで2年ほど。戦時色の強い時代、2人で中国戦線を慰問するなど土俵外でも忙しかった。双葉山の圧勝、横綱同士では長く最長だった6連勝を記録。, 様々な横綱と並んだ千代の富士。最大のライバルはやはり隆の里。北の湖引退以後2横綱となるも、隆の里はすでに虫の息で、1場所しか皆勤できずに引退した。千代の富士は第2期全盛を迎えるが、かつて4場所連続楽日相星決戦を戦った両者の優勝争いは見られなかった。, 短く散った北玉時代。大鵬が去ってようやく本格的に開幕した彼らの時代は、玉の海急逝でわずか3場所にして終焉。全ていずれかの全勝優勝という黄金の3場所だった。, モンゴル人横綱による競演。21場所一人横綱を守った朝青龍に白鵬がようやく追いつき、逆転の勢い。朝青龍が粘って待ったをかけ、二強時代となった。土俵上で決着後ににらみ合いになったのは汚点もあるが、両者の負けん気を物語る。本割では白鵬が対横綱戦新記録の7連勝。21年には年間86勝4敗の伝説的記録を作る一方、朝青龍は故障がちで乱調も度々。既に白鵬時代が始まっていたと見ることもできるが、勝負どころで朝青龍も執念を見せ、相星決戦1勝1敗、決定戦では2戦2勝(通算3勝1敗)。優勝回数では食らいついた。最後は朝青龍が優勝して「勝ち逃げ」したが、この場所最後の一戦に勝った白鵬は、これを起点に63連勝を記録する。, 諸葛孔明の天下三分の計で言えば、天下に3つの勢力が割拠すれば、強者を残る2者が連携して牽制しようとする動きが生まれ、バランスが保たれやすくなる。しかし、常に1対1の勝負である角界では弱い2人が連携することはできないので、どうして3横綱の間に序列が出来る。3人が3人とも強いという正三角形の時代は稀で、絶対的な扇の要がいて2人がフォローに回る形か、2強の下に一人がやや遅れを取った扇を返した形になることが多い。それでも、仮にも横綱。3人もいると完全な独走にはなりにくい。そして大関以下に優勝を譲ることも少なくなる。相乗効果で、優勝争いのレベルも維持できるようだ。横綱昇進のハードルが高くなった平成の土俵では、3横綱が鼎立することは珍しく、平成初期の他には、千代の富士引退後の1場所、若乃花の昇進後と引退後の計2年ほどだけ。どれも過渡期にあたる時期で、印象に残る三つ巴の争いは少ない。, 白鵬が長く続けていればいつかそんな日も来るだろうかと考えていたが、日馬富士、鶴竜の昇進でモンゴル3横綱という時代がやってきた。, 最初に挙げたのは、この3横綱の時代。長く王座を守ってきた29歳の横綱に、良きライバルとして同時昇進を果たした26,7歳の青年横綱2人という組み合わせも面白いが、短いながらも予想以上に白熱した三つ巴の争いが繰り広げられた。「北玉」が13勝2敗で決定戦を戦い、同時昇進した45年1月、一人横綱大鵬は全休。一人横綱の章で記述したように、「柏鵬」と謳われたライバルの柏戸が引退してからの4場所間、優勝30回の大鵬は沈黙していた。柏鵬から北玉へ時代は動いたと世代交代が叫ばれた。, ところが、いきなり休場明けの大横綱は蘇った。全勝の玉の海を1差で大鵬と北の富士が追うハイレベルな優勝争いとなり、決着は残り3日間の直接対決に預けられた。千秋楽の結びしか横綱決戦が見られない2横綱時代と違い、3日間頂上決戦が繰り広げられて最終盤に次々優勝争いの展開が変わる、これぞ3横綱時代の醍醐味である。13日目大鵬が玉の海を引きずり下ろして3者並ぶ。14日目、1敗対決は大鵬が北の富士を逆転で下し、玉の海と並んで千秋楽へ。先に大鵬が大関清国を倒して勝ち残りで見上げる結びの一番、優勝の可能性が消えた北の富士が意地を見せて玉の海2敗。2横綱を連覇した大鵬の31回目の優勝が決まった。翌場所は北の富士が14連勝で優勝。13日目の1敗玉の海戦を勝って大勢を決した。玉の海はこの場所も2横綱戦を落とす。大鵬は3敗したが、北玉にはまたも連勝。全勝優勝を阻んで存在感を示した。7月も北の富士。大関、関脇との混戦を制す。大鵬序盤で休場、玉の海は6敗を喫した。, 5場所中4場所を制した北の富士優位で始まった3横綱時代。しかし9月から流れが変わる。玉の海が1年ぶりの優勝。14日目に大鵬を破って優勝を決めるが、北の富士に全勝を阻まれた。これで対北の富士4連敗。11月も玉の海は14連勝、北の富士は2横綱に敗れ脱落したが、1敗で追う大鵬が千秋楽に待ったをかける。14勝1敗同士の決定戦は、玉の海に軍配が上がり連覇。年が変わって46年1月も玉の海が14連勝するが、またも大鵬が待ったをかけ決定戦に。そして今度は水入りの熱戦の末、30歳になっていた大鵬が大逆転優勝。春場所も横綱が強く、終盤まで頑張っていた3大関を退ける。直接対決では玉の海に敗れて脱落した北の富士が、首位並走の大鵬を下す。3場所続けて1差で千秋楽玉の海、大鵬の決戦となるが、この場所は本割で玉の海が雪辱、5度目の優勝。続く夏場所、序盤で2敗した大鵬が突如引退し、3横綱時代に幕が下りた。優勝、準優勝のあと引退は栃錦と同じパターン。大横綱らしい潔い引き際だった。この場所は2横綱が12連勝し、4場所続けて11勝に終わっていた北の富士が全勝優勝。イレブン横綱の汚名を返上して3横綱時代を締めくくり、大鵬なきあとも相撲界は盤石と誰もが安心した。, ②昭和63年1月(3月)~平成2年7月(千代の富士、北勝海、大乃国) 昭和から平成への移行期、土俵には3人の北海道出身横綱が君臨していた。2人は九重部屋で対戦がなく、大乃国と両者という2カードしかない点で特異な変則3横綱。この2年半は横綱としてはかなり高齢の千代の富士が、数々の大記録を打ち立てた時期にあたる。双葉山に次ぐ昭和以降2位の53連勝、7度目の全勝優勝、角界初の国民栄誉賞受賞、史上初の通算一千勝。愛児を亡くした場所で数珠を下げて土俵に臨み、初の同部屋横綱による決定戦を制して劇的な優勝を遂げるなど記憶にも残る土俵の主役だった。一方で、大乃国は逆転優勝と連勝ストップ、北勝海は3場所連続休場明けの復活優勝などそれぞれに見せ場があり、総じて話題性の多い3横綱時代だったと言える。, 幕開けは突然だった。62年の暮れに横綱双羽黒が失踪事件などで廃業となる。九州で13勝した未完の大器が突然消え、何ともネガティブな形で3横綱となる。新世代の旗手を失ったものの、1月場所は大関2場所目の旭富士が制す。大関小錦も両横綱を破って13勝と健闘。翌3月場所、千代の富士全休の穴を2横綱が埋め、千秋楽本割、決定戦と大乃国が北勝海を連覇して逆転優勝を飾る。若い両横綱が頑張り、旭富士も横綱への望みをつなぐなど千代の富士時代から次世代への以降が始まったかに思われた。, しかし、翌場所以降一気に時代は逆流する(結果的に、世代交代を成し遂げるのは、この63年春に入門した黄金世代だったという皮肉!)。夏、休場明けの千代の富士が、逆転優勝で横綱を狙う旭富士を下して優勝。北勝海は14日目に故障発生。意外な重傷で年内の復帰叶わず。千代の富士は連勝街道をひた走り、大乃国は優勝を争うに至らず。名古屋以外、千代の富士を追う一番手は大関の旭富士だった。他の3大関、小錦、北天佑、朝潮は不振で対抗馬となりえず。63年九州、14日目で優勝を決め、あとは54連勝目を決めて初場所に双葉山の記録を窺うかと、みな気持ちが翌年に向きかけていた千秋楽、大乃国が千代の富士を下し、連勝を止めたのである。自分も横綱だと意地を見せつけた。, 64年の初場所は直前の天皇崩御で一日遅れの平成元年初場所となる。4場所ぶり復帰の北勝海と旭富士が全勝、千代の富士と大乃国は2敗で追う。大乃国は旭富士を倒すが北勝海との直接対決には敗れて脱落。連勝の疲れが出たか千代の富士も5連覇が消えた。最後は決定戦となり北勝海が旭富士に本割の雪辱、苦しいリハビリを乗り越えて奇跡の復活優勝を果たした。, 春は上位6人が全勝で折り返す史上初の好展開、潰し合いの末14日目に2敗大乃国を投げ捨てた千代の富士が優勝。しかしこの一番で肩を脱臼、千秋楽休場の異例の事態となった。終盤の連敗で失望させた2横綱だったが、千代不在の夏は頑張る1敗力士4人の混戦から大乃国が2大関を退けるが、千秋楽北勝海戦、勝った方が決定戦進出の相星決戦では完全な誤審で敗退。結局北勝海が旭富士との再戦を制して優勝。, すると、不運に泣いた大乃国は翌場所から受難の時期に。名古屋不振で途中休場、秋には序盤3連敗から立ち直るも終盤4連敗してまさかの負け越し。横綱の皆勤負け越しは安芸ノ海以来、15日制で初めてという不名誉な記録で、引退届を提出するも慰留された。休場を挟んで2年初場所に復活を賭けるが8勝に終わり、さらに千秋楽に足首を骨折、当時横綱ワーストの4連続全休と不振を極める。千代の富士は同部屋決戦を制して復活、秋は全勝、2年初場所で30回目の優勝と衰え知らず。北勝海は「イレブン横綱」状態だったが、春場所に伝説の巴戦を制し6回目の優勝を果たした。, 2年夏、名古屋は復調した大関旭富士が連覇。横綱昇進となり、ついに3横綱時代は終わる。この間、千代の富士は抜けていたが、これに続くのは多くの場所で大関旭富士。3横綱時代最初の場所で優勝して以来苦節2年半。63年には年間最多勝も獲得。もっと早く横綱になってしかるべき実力を持ちながら、勝負どころの3横綱との対戦で大事な星を落として準優勝どまりが続き、横綱への道は遠かった。次の横綱候補を跳ね返し続けたという点では、3横綱は厚い壁となって役割を果たしたと言えるだろう。, 実力派大関として活躍していた朝汐。33年九州場所を制し、34年初場所は11勝だったが、春場所は大阪太郎の真価を発揮し両横綱を倒して13勝2敗の準優勝の活躍。横綱に推挙された。初場所に千代の山が引退したばかりだったが、再び3横綱の時代がやってきた。デビューの夏場所は若乃花を破るが10勝に終わり、栃若14勝の決定戦の後塵を拝する。以降3場所連続全休と存在感を失う。その間に栃若は充実。栃が全勝すれば、翌場所若が1差の決戦を制し14勝で優勝。若羽黒に競り負けることもあったが、ほぼ交互に優勝。35年春には朝汐が不振で途中休場するのを尻目に史上初の横綱楽日全勝決戦を戦った。ところが、朝汐の復活を待たずに3横綱時代は突然終わる。翌場所栃錦が初日から連敗するとあっけなく引退した。まさに桜の花の散るが如く。, すでに柏鵬がもの凄い勢いで伸びて来ている時代。すでに3横綱とも30歳を超えていた。結局、一番若い朝汐が不振続きでこの一年間横綱らしい成績を残せず、11勝が最高。完全に栃若一騎打ちの時代だった。朝汐の名誉のために、その後若乃花との2横綱となった1年余りの間に優勝も果たし、柏鵬に対し一定の壁となったことを述べておく。, ④昭和56年9月~昭和58年1月(北の湖、若乃花、千代の富士)/昭和58年9月~昭和60年1月(北の湖、千代の富士、隆の里), 80年代は、主に3横綱が君臨する時代だった。そのうち昭和50年代後半は、大横綱北の湖、新鋭千代の富士の2横綱に、前期は二代若乃花、後期は隆の里という同部屋同期の横綱が入れ替わりに綱を張った。若乃花が横綱昇進したのは昭和53年、このころが全盛期で、56年に千代の富士が昇進した後は急速に衰えてしまった。対して隆の里は糖尿病などで十両に陥落するなど大きく遅れを取っていたが、57年に大関、若乃花引退後の58年9月に30歳で横綱に昇進した。間3場所を挟んで長く3横綱時代が保たれた時代を紹介する。, 昭和49年の昇進後、北の湖は優勝20回を記録し王者の地位を不動のものとしていた。ライバル輪島を初め、三重ノ海、貴ノ花、増位山と上位陣が次々引退したが、まだ27歳の横綱に世代交代は無縁であった。同い年の若乃花は、56年に入り不振。変わって千代の富士が毎場所北の湖と優勝を争い、秋には横綱に上り詰めた。こうして始まった3横綱時代、秋場所、心配は3場所連続休場中の若乃花だったが何とか11勝にまとめる。北の湖はヒザの不調で10勝止まり、新横綱は2日目に足首を故障しあっけなく休場。何とも不安なスタートとなった。九州では、若乃花はまた全休、北の湖は場所中ヒザが悪化し初めての休場、連続勝ち越しは50場所でストップ。休場明けの千代の富士も3敗と不調ながら混戦を制して何とか面目を保った。大関が新大関琴風一人という時代、「横綱大関」として文字通り屋台骨を支える3横綱の負担は大きかったが、ちょうど3人ともケガで不調期に入ってしまった。, 57年、初・春と千代の富士と北の湖が千秋楽決戦を戦い優勝を分け合う。しかし夏場所、北の湖が左足首を痛め途中休場。足腰の不安を抱えて長期低迷期を迎える。その間隙をついて大関が次々と誕生する。57年は調子の上がらない2横綱に対し、千代の富士が4回の優勝。まだ大関らに星を落とす場面が目立ったが、北の湖から主役の座を奪った。, 58年、初場所で若乃花が引退。まだ29歳だったが、不調からの復活ならず。北の湖も休場が続き力士生命の危機。千代の富士は肩の脱臼にも怯まず安定していたが、それ以上に隆の里が台頭。春は全勝した千代の富士に苦杯を嘗めたが、以降毎場所千秋楽まで優勝を争う。名古屋の相星決戦で千代の富士を破り横綱昇進を決めると、翌場所の全勝決戦も制して新横綱全勝V。九州場所は北の湖や大関陣も優勝争いに加わっていたが、やはり2横綱が抜け出して相星決戦となり、ようやく千代の富士が隆の里に雪辱。しかし、59年の初場所は隆の里がまたもキラーぶりを発揮。4場所連続の千秋楽相星決戦を戦った千代ー隆の2強時代だった。だが、隆の里はこれが最後の優勝となる。以降は10勝程度の平凡な成績にとどまる。, 千代の富士も不調に陥る。その間に力をつけた若嶋津が全勝を含む2度の優勝で横綱を窺ったが、秋場所では平幕の小錦、多賀竜を止められず夢は潰えた。夏場所は、北の湖が劇的な復活、全勝優勝を果たしたが、最後の輝きとなった。千代の富士が1年ぶりに優勝して締めくくった九州は、北、隆ともに途中休場。千代の富士が不振から脱出したこの場所が、千代の富士一強時代の幕開けとなった。, 新国技館開館の60年初場所、連敗した北の湖は遂に引退を表明。10年半守った横綱の座を退いた。3横綱の一角となった最後の5年は苦しんだが、前年の復活優勝で存在感を示した。隆の里も以降皆勤は1場所だけで、1年後に引退する。, 3横綱時代と言いながら、実質的には2横綱が激しく競り合うか、3人共に不調で関脇・大関に花を持たせることも多く、番付通りの3強の構図はほとんど見られなかった。琴風、朝潮、北天佑、若嶋津の大関陣はなかなか強力で横綱を苦しめたが、遂には届かず。最終盤に登場したサンパチ組の北尾、保志、小錦さらには大ノ国や旭富士、逆鉾などが突き上げてきて、彼らに押されるようにして3横綱時代は終焉を迎えた。, 短いながらも皆が優勝した3横綱時代として、この3人の組み合わせがある。4横綱の中から、41年九州で技能横綱栃ノ海が引退。この場所を全勝で制した大鵬は、1月も全勝で2度目の6連覇。1月は佐田の山も全勝で並走していたが14日目の直接対決で敗れて14勝1敗。全勝阻止を狙った柏戸も叶わず。春は柏戸がつけた黒星が響いて連覇が途絶えた大鵬だが、夏・秋を圧倒的な強さで制す。柏戸、佐田の山も懸命に追うものの大鵬の牙城は崩れない。, 大鵬が休場した場所では両横綱が力を発揮、名古屋を柏戸が、九州と43年初場所を佐田の山が連覇。しっかり穴を埋めて、北の富士、玉の海らに付け入るスキを与えない。しかし、連覇翌場所の43年春に突然佐田の山が引退し、あっけない幕切れを迎える。柏戸に衰えが見え、大鵬が故障で長期休場中だけにダメージが大きかったが、引退説も囁かれた大鵬は復帰場所から45連勝の大記録を残すことになる。大鵬独走と位置づけられる時代の一部分だが、しっかりと他の横綱が補完して土俵を締めていた。1トップ2シャドーとでもいうべき3横綱の時代だった。, 1年間続いたベテラン2人に新時代の星が加わった個性的な3横綱。48年はこの3人で優勝を分け合っているから、当初はそこそこのバランスを保っていたと言える。初場所を制した大関琴櫻が史上最多在位場所数にして横綱昇進。春は北の富士が10回目の優勝。この場所、大関輪島は13勝、琴櫻は北の富士の全勝を阻止。夏、大関輪島が全勝優勝して学生相撲出身初の綱取りに成功。ここに3横綱の時代が幕を開ける。, 名古屋では、琴櫻が横綱として初の賜杯を手にする。北の富士に全勝を止められたが、14勝同士の決定戦では見事な左のどわで雪辱。新横綱はベテラン2横綱に敗れて脱落したが、秋・九州と13日目に優勝を決めてしまう独走で連覇。徐々に時代をリードし始めた。, 49年に入ると世代交代の波が押し寄せる。弱冠20歳の北の湖が初優勝すると、以後輪島と交互に賜杯を分け合う。対して2横綱は苦しく、共に途中休場のスタートから、琴櫻は春場所危うく負け越すほどの不振、夏も3連敗で休場。北の富士は連続全休。共に進退は名古屋へ持ち越したが、琴櫻は場所前に、北の富士は初日から連敗して引退を発表した。入れ替って場所後、2人より10歳以上若い北の湖が史上最年少横綱に昇進。, 時代の過渡期に生まれた3横綱時代。ある程度予想された展開とはいえ、急激に2横綱が衰退して3横綱の競り合いはほとんど見られなかったが、新横綱に洗礼を浴びせて先輩横綱で決定戦を戦ったあたりに老兵の意地が感じられる。, 同時に存在した横綱の最多人数は4人。上限というわけではないが、かなり多いという印象だ。有難い手数入りも4回も続けて見せらたら少々満腹気味になる。中入り前が間延びしてしまう。また、そもそもいくら横綱でも、4人が揃って終盤まで優勝を争うのは難しく、揃って皆勤した例は少ない。③の時代に「4横綱リーグ戦」のキャッチコピーで瞬間的に盛り上がったくらいだ。, 4横綱期間も最長で14場所。陥落のない横綱は休場という手で延命もできるが、他に3人も横綱がいる中で一度狂った歯車を戻すのは困難で、早々に誰かが引退に追い込まれるパターンが多い(3人目に上がった横綱が最初に辞めることが多い。最古参の千代の富士が最初だった②も、その翌場所3人目の大乃国が引退。)。, そもそも横綱が4人になるのが珍しく、29年初場所で稀勢の里が昇進して4横綱となったのが18年ぶりとあって注目された。昇進後10年を迎える白鵬に5年間張り合ってきた日馬富士、さらに26年鶴竜、そして29年稀勢と新横綱が加わった。好敵手と呼ばれる2人の長期政権に、立て続けに横綱が加わることで完成することが多かった4横綱体制。今回のケースは一人横綱白鵬の後に3人がそれなりの間隔で昇進している点で珍しい。千代の富士が一人横綱を経て2組の4横綱時代を経験したのと似たケースである。, ところで、4横綱を超える5横綱に一番近かった時代は?戦後間もなくは横綱が乱立気味で、4横綱になることが多かった。入れ替わりに4横綱時代が続くこともあり、その頃にあわや5横綱という場面も生まれている。東富士が、栃錦の昇進を妨げないよう身を引いたとする説もある。初代若乃花幹士の昇進時にも4横綱のうち2横綱が引退している。それ以降は4横綱となることが稀で、そこにさらに5人目となる横綱候補が出たことはない。あえていえば、63年初場所で大関旭富士が優勝したが、この場所は廃業した双羽黒が残っており番付上は4横綱。もし双羽黒が去らなければ、翌春場所は混戦になり、実際は1差に終わった旭富士にチャンスが巡ってきて連覇し、あるいは5横綱になったかもしれない。平成29年の4横綱時代は、開始時点でみな30代の高齢ぶり。誰が引退に追い込まれるのか、それとも史上初めて第5の横綱が誕生するのか。どのように幕が降ろされるのかも注目だったが、毎場所休場者が相次いで揃わないまま、何とも残念な形になった。, 長く続いた2横綱の時代。ところが、曙は10、11年、貴乃花は11年、12年と優勝なし。両横綱の不調期に、5年ほど大関で足踏みしていた若乃花、武蔵丸が横綱に昇進する。だが、この4横綱がサバイバルで優勝を争うような展開には一度もならず、千秋楽での揃い踏みすらなかった。年齢的には曙30歳を筆頭に、大横綱貴乃花はまだ26歳とまだ油の乗った年代の4横綱だったが、若い頃から大舞台で戦ってきた疲労からか、いささか消耗していた。武蔵丸が新横綱の場所は、若乃花が全休、貴乃花が9勝に終わり、曙が復活優勝に向けて走っていたが千秋楽関脇出島に逆転された。秋は初日こそ4横綱の土俵入りが見られたが、曙貴が序盤で休場、若乃花は負傷するも休場勧告を無視して強行出場を続けて、千秋楽優勝のかかった武蔵丸に敗れて負け越し。若乃花の引退は回避されたが、故障で長期休場へ。曙若が全休した九州では、貴乃花がやや復調し3敗同士で武蔵丸との相星決戦。武蔵丸の怪腕が返り討ちにした。武蔵丸は成績こそいまひとつだが、この年4回目の優勝で実力NO.1の座にあることを顕示した。, ところが、12年初場所は55場所連続勝ち越しの不沈艦・武蔵丸まで休場してしまい、久しぶりの曙貴2横綱となったが、共に3敗で千秋楽。先に関脇武双山に優勝を決められ、消化試合となった。春場所、進退かけて強行出場してきた若乃花だが、序盤で黒星が先行し引退。残った3横綱もピリっとせず、貴闘力に平幕優勝を許した。, 4横綱がいながら、優勝したのは武蔵丸だけで、関脇2人や幕尻にまで優勝を攫われ、不甲斐なかった。4横綱となる前後の3横綱時代も、休場が多く三つ巴の複雑な優勝争いになることはなく、それぞれの一騎打ちか、1人の独走となった。以前の2横綱3大関時代の方がよっぽど安定しており、4横綱と言えども前時代よりかなりレベルが下がって、横綱大関関脇がフラットな関係になった時代と言えよう。, 天敵千代の富士を倒してようやく頂点を極めた旭富士。上記の3横綱時代に書いたように、実質的には北勝海、大乃国以上の安定感を誇った大関が、念願成就してようやく番付が実力に追いついた形。しかし、4横綱が盤石だったかというと、スタートから不安要素はあった。35歳の千代の富士は初場所以来優勝から遠ざかりこの場所全休。連覇して昇進の旭富士とて、その前5場所は一桁勝利と不振明け。膵臓炎の不安はつきまとい、年齢的にも30歳と高齢。大乃国は横綱ワースト4連続全休中。北勝海も2場所連続10勝どまりだった。.
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